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約50年前の魚らん坂

現在の魚らん坂

■魚らん坂とは...

 魚らん坂下という地名は江戸時代の俗称で、古川に架かる三之橋のやや上流部、南岸の永松町(現在の三田五丁目)から南へ、伊皿子台方面に上がった坂を魚籃坂(ぎょらんさか)と呼ばれていました。
 坂名の由来は、坂の中間に魚籃観音を安置した魚籃寺があることから名付けられました。その坂下一帯を俗に魚籃坂下と称しました。
 

■魚らん坂と商店街...

 魚らん商店街は太平洋戦争でも、警防団(消防団)の活躍で焼けずに残った古い商店街です。ですので、町並みも明治大正の頃の古い木造の家並みがかなり残っていました。
 
 昔は都電も通り、目黒方面・品川方面・五反田方面と三系統の経路がこの地を走っていました。終戦直後は満員を通り越して鈴なり状態の乗車率で、車内に入れずに窓にぶら下がる光景は日常茶飯事でした。都電があった頃はどこにでも行けて、意外と便利な場所でもあったのです。
 商店会の歴史は古く、大正9年に商盛会として発足しました。今では、古くからの建物が取り壊され、新しいビルが建ち、新しい人達がたくさん来てくれますが、どこか昔懐かしいと言って来られる方が多く見受けられます。商店街にも昔から代々お店を継いでいる店もあれば、新しく出店した店舗もあります。世代を超えた結びつきがあり、魚らん商店会は非常に親しみのある商店会です。
                                 (引用:魚らん商店会HP)
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